きいろのこもれび

おまんじゅう1つ、くださいな     (@mass_mk7)

担降り・担戻り騒動。

 

嵐にしやがれ、毎週録画

こんな日がまた来るなんて誰が想像したか。

誰も想像してない。私が想像しなかった。
早速文章の冒頭からボキャ貧感が炸裂しているが、そんな事は断じてどうでもよい。

 

最初に言っておく。
はてなブログなんてやるつもりはなかった。
やったら負けくらいの勢いだった。
自分には文才などないし、書く内容もない。
しかし今書かなければならないと思った。
どうしてもこの気持ちを記録しなければならないと思った。

 

担降りってなんだろう。
まさか自分がその立場になるとは思ってもいなかった。

そう、私は半年前に、担降りをした。

(大事っぽいから目立つようにしてみる。)


誰から誰にだって?

今をときめくスーパーアイドルグループ嵐の二宮和也さんから、

活動停止や脱退を経たNEWSの増田貴久さんに私は担降りをした。

 

あれはちょうど不動産・住宅情報サイト『HOME'S』のCMに

二宮さんが新しく起用された頃だったかなぁ。

日清オイリオに二宮さんがエビフライケーキでお祝いされた時は

まだ彼に溺愛だった事は、はっきり覚えている。

「エビフライのケーキ、私も食べたかった。」

あの時の感情は決して忘れない。


だがエビフライケーキなんてどうでもいい。

今問題にしているのは担降りについてだ。分かってる。

この現象は、別に私に限らず多くの人が体験しているんじゃないかな。

ジャニヲタとしての一種の通過儀礼のようなものに感じる。

もっともやらないに越した事はないが(個人的見解)

 

しかしその原因は様々である。

例えば担当のスキャンダルであったり、ヲタ自体を卒業したり、

現実世界で新しい人を好きになったり、音楽の方向性が合わなくなったり...。

 

でも私は、少し事情が違う。

二宮さんが好きなまま、担当を降りた。

別に彼が嫌いになったからとかじゃなくて、むしろ大好きだった。

好きすぎて好きすぎてどうしようもなかった。


まぁツイプロ(http://twpf.jp/mass_mk7)を読んで貰えばわかるだろうけど、
私は増田貴久という

スーパーミラクルイケメンおまんじゅう系アイドル(※注:ボキャ貧)に惚れたために、
二宮さんへの、というか、嵐への愛情が

徐々にフェードアウトしていった感じだったと思う。

 

私のジャニヲタ生活にとって、Twitterは欠かせないものだ。

私はヲタ垢を2015年1月4日から始めたが細かいな

担降りした際、嵐関連のフォロー/フォロワーは一気に関係を経った。

(ただ、担降りするずっと前から仲良くして頂いていた2人の嵐担の方とは

どうしても縁を切りたくなかったので、そのまま繋がっていた。)

そしたら、驚く程に嵐情報が全く入ってこなくなった。

今までは毎日のようにTLに流れ込んできた多大な情報。

それがピタリとなくなった。何かが吹っ切れた気持ちになった。

ここからまた、第二のジャニヲタ人生を始めるんだって思った。

 

 

...とまぁ今まで「担降り」についてザッと話したが、

こうやって一人で語っていてもつまらないので

M誌の一万字インタビューっぽく自分に聞いてみる。

これ、やってみたかったんだよね。

 

――今回は、お忙しい中ありがとうございます。

「いえいえ、私もちゃんと担降りについて話さなきゃいけないなと思っていたので、

こういう機会に恵まれた事は大変嬉しいです。宜しくお願いします。」

 

—―早速本題に入るけど、担降りって何なんだろうね?
「まぁそのままの意味だと前の担当に戻る事デスヨネ、、、」

 

――でもそんなことってあるものなの?

「私も自分に限ってはないと思ってたんですけど(笑)」

 

――葛藤はあった?

「いや、いきなり担降りしたというよりは、

最初は掛け持ちで徐々にシフトしていった感じなので葛藤はなかったですね。

まぁ最初の掛け持ち期間…といっても1週間くらいでしたけど、

その期間は少し大変でしたね。」

 

――なんで大変だったの?

「どっちも100%追いかけていきたくって。

でもそしたら情報量も多すぎて番組も沢山とらなきゃ行けなくって

自分のキャパを軽く超えてたんですあの時は。」

 

――どっちも好きなのに追いきれない、か。辛かったね。

「はい(笑)そしたら気持ち的にも段々NEWSの方にシフトしていって...。

だから嵐が嫌いになったからとか、そういう理由じゃないんですよね。」

 

――なるほどね。

「それからはもうNEWS一筋になって、嵐を見ても何も感じなくなりましたね。

雑誌なんて嵐のページ飛ばして読んでたほどですね」

 

――でも、その半年後には担戻りしたと...

「きっかけは些細な事だったんですよ。

ただ宮城ブラストのDVDを見ただけなんです。

あぁ、やっぱり私、この人達好きだなって。」


――じゃあこの半年間は何だったの?

「う~ん(笑)それを言われたら困っちゃいますね、、、」

 

――NEWSってどんな存在だった?

「私にとっての生きがいですね。

それは嵐が好きだった頃の気持ちとなんら変わらないです。」

 

――ただ興味本位でかじっただけ、というわけでもなかったんだ?
「うん、なんだろう、そうじゃない。そうじゃないんです。

NEWSは今だって全力で大好き。100%追っかけていきたい存在。」

 

――じゃあ今は掛け持ち?

「うーん。掛け持ちと言われればそうですね。

でもさっきも言った通り、どっちも全力で追いかける事は出来ないので。

まぁこれからの活躍みててくださいよ(笑)」

 

――なるほどね。今日は沢山本音を言ってくれてありがとう。

「いえいえ!自分が言いたかった事を言っただけです。

こちらこそありがとうございました!」

(インタビュー完)



...でもこうやってインタビューに答えてみると、色々な疑問が生じてくる。

実際に嵐からNEWSに担降りした原因って考えたことなかったかも。

NEWSがかっこよかったから?

いや、そんなことでずっと好きだったグループからいきなり落ちるか?

実際、なぜ私は増田くんが好きか分からない。

増田くんのどこが好き?と聞かれても、答える事はできない。

でも自担だと断言できる。

じゃあ原因はNEWSじゃなくて嵐の方?

単に飽きたから?そういう単純なもの?あんなに好きだったのに?

 

こうやってしばらく考えてみると、4つの要因が浮かんできた。

分かりやすくまずはリスト化してみる。

  1. 自担のメディア露出の多さ
  2. 国民的アイドルという肩書き
  3. 自分名義の意義
  4. 相方の存在

順に詳しくみていく事にする。

 

原因1.自担のメディア露出の多さ

私がNEWS沼に落ちる前、二宮さんはCM5種以上、赤めだか、母と暮せば、坊ちゃん、暗殺教室などのWSと毎日のようにメディアに露出していた。それをTwitter情報を頼りにめざまし何時台何分編集、ZIPは...などといつもやっていて、さらには個人のみならず嵐としても愛を叫べスポットやHITACHI、一番搾りCM、バラエティ、ラジオも毎週必ずあった。私は悪い意味で完璧主義な人間なので、なに一つ取りこぼす事は許せなかったし出来なかった。そしてそうやっているうちに、何もせずにただ溜まっていくVS嵐、しやがれ、消えていく容量...。それが精神的ストレスになっていった。日常のストレス解消の為にアイドルを好きになったといっても過言ではないのに、そのアイドルを追う行為自体がストレスになってしまうとは皮肉なものである。

 

原因2.国民的アイドルという肩書き

私はキラキラしたアイドルを追うのが好きだ。アイドルに貢ぐのが好きだ。でも、嵐は今やただのアイドルではない。「国民的スター」である。私が嵐を好きになった時は、まだ冠番組も1つしかなく、それも深夜帯で予算が無い時はゲストも呼ばずにオグさんと6人でひたすら山手線ゲームなどしていた時代だった。(いやまて、もう一つ関東ローカルで土曜昼にあったが割愛する。まごまご嵐ね。)ところが今はどうか。豪華なゲストを毎回呼び、美味しいものをいつも食べて(※かなり偏見)司会は桝さんや水卜さんなどの大物アナウンサー、発言する言葉はお茶の間に受け入れられる言葉ばかり。もし今、彼らが乳首Tシャツなんぞ着たらそれこそ非難の嵐だろう。だって、国民的アイドルなんだから。国民的アイドルらしくしなきゃいけないんだから。ちょうど私が担降りする時、嵐は宮城の復興支援の真っ只中だった。ライブのために急遽運行される臨時電車、やまない過剰な程のニュース、まさに国家総動員である。不謹慎だとは分かっている。分かっているが、私はその時こう思っていた。「なんでアイドルが復興支援などするのか。偽善なんじゃないのか。嵐が宮城でライブをやる事で、なんの意味があるのか。復興支援というか、宮城の一部の偉い人達が得をするだけなのでは?」この答えは担戻りをするきっかけになった宮城BLASTの映像を見て明らかになったが、当時は無知なクズ野郎だったため本当にこのライブの意味が分からなかった。

 

原因3.自分名義の意義

私はファンクラブに現在も含めて(受験の時は一旦辞めたが)5年間入っているのだが、自分名義で当たった事は一度もない。たった1度もである。会いたいのに会えない。現場があるのに席がない。これほど悲しいものはなかった。幸い周りの人達が誘ってくれ、ここ数年の現場は何度か行く事は出来たが、自分名義で当たらないほど悲しいものはない(※NEWS名義では当たっているのでブラリしているというわけでもない)。ただ直接応援したい、これが原因といっても過言ではないと思っている。

 

原因4.相方の存在

これが1番大きいと考察している。私は友達が多い方ではない。多い方ではないどころか、実際に会って話をしたり遊んだりする友達は指を数える程しかいない。その中で、小学1年生から仲のいい友達が1人だけいる。その子とは中学校まで一緒で、高校、大学は違うが辛い高校受験時代を一緒に乗り越えた大切な友達だ。ちょうど中学生の時、彼女は櫻井担、私は二宮担で櫻宮!磁石!なんてふざけながら...本当に楽しかった。これは別々の高校へ行ってもしばらくは続いた。お互い何度か冷め期なども体験したが、現場に行く時はいつも一緒。双子ちゃんではないけど、黄色と赤のコーデ。嵐に対する気持ちはゆるがないものだった。だがしかし2015年互いに担降り。時期は彼女の方が少し早くKis-My-Ft2の北山くんに降りた。彼女が櫻井担を降りた時、本当に寂しかった。1人、どこかの世界に取り残されたような気がした。きっと彼女が担降りしたから私も無意識に後追いのような形を取ってしまったのではないかと思う。

 

こうやってリスト化すると実にすっきりする。

すごいな、はてなブログ。偉大。

 

じゃあ次に担戻りしたきっかけを記録しとこう。

え?もう読むの飽きたって?私も書くの疲れたよ。

やっぱりブログ向いてない!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

かくして丸半年NEWS沼にずぶずぶハマっていた中、ある出来事が起きた。

先程述べた北山担の彼女が、嵐のJaponismツアーに行った後に担戻りしたのだ。

驚いた。文字通り驚いた。

私もこのツアーは参戦したが、担戻りはしなかった。

なんなら、公演中に増田くんの事をずっと考えていたくらいだ。

そしてそのまま彼女は嵐とキスマイの掛けもちになった。

その時はなんというか...

そうなんだぁ掛け持ち頑張ってね★くらいの気持ちだったけど。

(だって私最初に掛け持ち失敗してるからね!?)

 

事件はそのあとに起こった。

あれは忘れもしない2016年1月25日の櫻井翔くんの誕生日会。

見事Japonismで櫻井担に戻った彼女と私は某カラオケ店で誕生日会を催した。

とはいっても私は本当に付き添いという感じで、なんならNEWSの美恋DVDも持ってったし増田くんのうちわもWhite魂のバックに入れて持って行った。誰がどうみてもNEWS担だった。会自体は約3時間だったのだが、最初の2時間でお互いの自担グループ(NEWS,キスマイ)のライブDVDやMVを見て、そして最後の1時間で嵐のブラスト宮城を(場面を厳選して)みるという構成だった。私は普通に見る予定だった。

けど。普通に見れなかった。

シャッフルメドレー。5人の仲の良さを久しぶりにみた気がした。中盤のBreathlessからのピカダブ。もう泣きそうになった。Breathlessは二宮さんの主演映画の主題歌。担降りする前までは二宮メインの歌の中でとても大好きな歌だった。ピカダブは、これは本当に...本当に嵐の曲の中で1番大好きな曲。この2曲がいっぺんに来た。何か心の奥からこみ上げるものがあった。そして、最後の果てない空果てない空は、私が中学3年生の時の泥まみれの高校受験、そして東日本大震災の時の、一番思い入れのある歌だった。嵐だけが支えだったあの頃。嵐だけが生きがいだったあの頃。嵐に会う事だけを目標にしたあの頃。そういう時の感情が一気に蘇ってきた。

 

思えば初めてPVやメイキングというものを見たのも嵐だし、

ジャニーズのコンサートというものに行ったのも嵐だった。

私のジャニヲタの原点は、嵐だった。

 


じゃあ原点から現在までってどんな感じだったっけ?

ここで嵐の好きな度合いを時期ごとにまとめてみた。

 

1.小6~中1

嵐のメンバー、性格、曲、とりあえず全部覚えよう。

 

2.中2~中3
好きがとまらない、本気愛同担拒否。


3.高1
好きのピーク。FC初加入。初めての現場(ワク学、BW)


4.高2~高3
受験期で嵐から離れる。FC更新なし。

Popcorn、LOVEのアルバムの存在知らないほど離れる。


5.大1
LOVEのDVDみる。あぁ好きだ。FC再入会。

DIGITALIANに参戦し愛が急上昇。


6.大2
上半期→嵐好き全盛期。
下半期→NEWS沼ずぶずぶ。


これをみて分かる興味深い事は、
「好き全盛期」と「冷め期」が約1年毎に交互に来ている事だ。

よって、担降りした時期がちょうどこの周期でいくと

「冷め期」に値するといった事実も担降りをする足掛かりになったに違いない。

 


NEWSをみるとドキドキする。良い意味でも悪い意味でもそうだ。
彼等の一つ一つの発言で一喜一憂する自分がいる。

例えば増田くんがお弁当箱を買ったという些細な発言に対して、

なんで?とかって深く探ってしまう自分がいる。

 

だが、嵐をみると安心した気持ちになる。
嵐だけを好きだった頃は本当に楽しかった。

辛いなんて感情は、全くなかった。

 

嵐は私にとって「ホーム」なんだよね。

だって曲全部知ってるもん(自慢げに)

隅の隅の隅まで知ってるもん。(それは嘘)

 

でもNEWSは知らないし、4人以前の曲は別に知りたくもないし。

活動停止した時だってメンバーが脱退した時だって、私は外野だった。

ただみて、大変そうだなって思ってた。

 

 

なんかここまで書いてると

お前NEWS冷めたのかよウケるwwww

って言われそうだけど、そうじゃないんですって!

インタビュー()でも答えたけど、NEWSは、増田くんは今だって大好き。

これからもCD、DVD購入という形、現場にいくという形、

出演番組は全部見て編集してダビングして一生手元に残すという形、

こういう色々自分が出来る限りの形で

全力で応援していきたい存在。

 

でもそいじゃ嵐とNEWS、掛け持ちできるの私!?

実際出来なかったじゃん!!

だから担降りしちゃったんでしょ!?

どちらも100%なんて絶対むり!!!!!

 

でもその時彼女はいってくれた。

どちらも100%じゃなくていいんじゃない?

 ちょっとこれを聞いた時、私の世界の何かが変わった。

変わったんだよ、上手く言えないけど。

強固な何かが崩れた感じ。

 

それから一ヵ月。

堂々と言う。

いま私は掛け持ちをしている。

二宮さんも増田くんも大好き。両方自担です。

 

ただ嵐に対して、担降り前と後で意図的に変えた行為は以下の2つ。

  1. WSも冠も歌番組も編集しない。録画はするが、見たら消す。
  2. CMも確保しない。

この2点を意識してやらないと自分のキャパ軽く超えて、

また悲惨な結果になってしまう。それをどうしても避けたい。

嵐に関しては、もともと担降り前もCDは買ってなかったので

今後もCDはレンタルで済ます。DVDは買う。現場は出来る限り入る。

これが私の嵐さんに対する姿勢です。

 

でも現実私は不器用な人間だから、掛け持ちできるかどうかわからない。

また担降りR(リターンズ)が近日上映されるかもしれない。

でもこの半年間の担降り担戻り騒動を通して、

嵐が私の中でどのくらい重要な存在かを再確認する事ができた。

これからは嵐から離れるのではなく、ゆるっとしがみついて応援したいと決心した。