きいろのこもれび

おまんじゅう1つ、くださいな     (@mass_mk7)

大好きなままで、担降りをする事。

カウコンのグッズ列がやばいことになってるらしいですね。

そういえば去年は6時間くらい並んだなぁ~とかぼんやり懐かしみながら、

今回筆を執る事にしました。

 

 

私は小さい頃からジャニーズが大好きで、気付けば中学、高校、大学・・・

と、青春は全部ジャニーズだった。

ジャニーズは私にとってたくさんの愛を与えてくれる存在だった。

辛い時も、悲しい時も、自担の出演してる番組をみて、自担が歌ってる音楽を聴けば、

どこか遠くの、別の世界・・・それはとても美しい場所、に、行ける気がした。

 

結論からいうと、2017年12月25日、担降りをした。

今まで散々、担降りしては舞い戻ってきたけど、

今回はもう戻る事はないと思う。永遠に。

だって、嫌いになったから担降りしたんじゃないから。

大好きだから、大好きなままで、担降りしたんだ。

こんな素敵な降り方って、他にあるのかな。

私はジャニヲタをこのような形で終える事ができて、凄く幸せだと思う。

 

 

12月25日は、嵐「untitled」の東京公演だった。

正直、もうその時は新曲が出ても感動しなくなってたし、

冠番組もテレビがついてたらみる、というような感じだった。

今思えば、それでも「嵐が好き」っていってたのは惰性だったのかもしれないけど。

 

昔はそんな事なかったんだ。

新曲がでるって知っただけで魂が舞い上がる程興奮したし、

初めてラジオで新曲がかかる時は日曜の朝からドキドキだった。

「どこにでもある唄。」を初めて聴いた時は、涙が出る程感動したっけ。

あの時の私と、何が変わってしまったんだろう。

正直、変わりたくなかった。ずっと、あの頃の気持ちを持っていたかった。

今願いが1つ叶うなら、きっと私はあの気持ちを取り戻すんだと思う。

だって、凄く毎日が楽しくて、頑張れて、素敵な気持ちだったから。

どうして、それが今は無くなってしまったか、手放してしまったのか、

私には分からない。

 

 

初めて二宮さんを知ったのは、小学生の時にみた「山田太郎ものがたり」で。

この話はこのはてぶろでも何回も書いてるかな?

最後だから、最後に私の人生の大事なスタートライン、語らせてください。

 

当時の私・・・小学校5年か6年だったんだけど。

もとから山田太郎ものがたりを見ようって決めてなかったんだよね。

たまたま番組表をみたら、「面白そうなのがやるじゃん」って

単純に思って録画しただけで。

その時は「嵐」って存在は知らなかったし、

同じドラマに2人も嵐のメンバーが出てるなんて思ってもいなかった。

 

このドラマ自体が凄く面白くって、だんだん最終回に近づいていくのが悲しくて・・・

もうその時には、主役の人に「恋」をしてしまってた。

真っ白な、穢れの無い純白の恋。

 

今と違って、昔はスマホなんて無かったし、家にはパソコンすらなかった。

簡単に検索できない環境だったけど、当時の私はオープニングの時に流れる、

山田太郎役を演じる人の名前を必死に目で追って探したんだ。

「にのみや・・・かずやさんだ!」

これが私のジャニヲタ人生のはじまり。

まさかこんなに深く、長く、続くとは当時は思ってもなかったよ。

 

だから初めて嵐の曲を聴いたのは「Happiness」だし、

中に一緒に入ってた「Still…」と「Snowflake」は気が狂う程聴いたっけな。

ほんとにそれまでは芸能に興味が全くなかったし疎かったから、

多分嵐で1番有名なラブソーとかも当時は知らなかったと思う。

 

 

初めてコンサートに入ったのは、それから3年後の高校1年生の時だっけ。

「Beautiful Would」

国立競技場から見た、あの景色は、生涯忘れる事は無い。

 

この初めてのライブの現場は、私の名義で行ったんじゃない。

私が小学1年生の時から知ってて、それから中学も一緒で、

ともに高校受験を乗り切った櫻井担の幼馴染に連れてってもらったんだ。

私のジャニヲタ人生で、欠かせない大切な存在。

この子なしでは、私のジャニヲタ人生は決して語れないし、成立しない。

 

 

1年前…かな。

私は自担が凄く嫌いになってて。

でもそれは、ジャニヲタとして1番やっちゃいけないこと。

今までの好きだった期間を、全部黒歴史にしてしまう事。

大好きだった、今までの人生を支えてくれた人を憎む事は正直本当に辛かったし、

絶対にしたくない事だった。けど、自分の力じゃそこから抜け出せなかった。

でも彼女は、その暗いトンネルに光をくれた。

温かくて、安心できて、大きな光だった。

「自担を嫌いになって担降りする」という地獄から、私を救い出してくれたんだ。

 

 

初めて二宮さんに出会ってからちょうど10年、

初めて、自分名義で嵐のコンサートが当たった。

いい機会だと思った。

来年から社会人にもなって、初めて一人暮らしも始まる。

何か、ちゃんと整理したかったのかもしれない。

きっとそうだったんだと思う。

 

それに・・・もう嫌いな状態で離れたくはなかった。

この気持ちで、大好きな気持ちで、彼とお別れがしたかった。

ありったけの感謝の気持ちを込めて。

 

 

12月25日は、水道橋に16時くらいについた。

彼女と一緒に、西口のあの大きな橋を通った瞬間、涙が一気に溢れた。

本当にびっくりした。え、ここで泣く?笑

まだ東京ドームにも着いてないのに涙が止まらなかった。

なんか、いっろんな所に嵐との思い出があって。

 

高1の時、はじめてワクワク学校に行ったんだけど、

直前に学校があって、ギリギリで水道橋についたんだよね。

その時に全力疾走したのが、この橋。

嵐にやっと、初めて会える!っていうドキドキ感と、

果たして間にあうのかな...っていう別のドキドキ感が混じり合って、

複雑な思いで駆けていった淡い思い出。

そういうのが、なんかもう、そのスポットに行くだけで走馬灯のように蘇るんだよね。

それが無意識に起こってしまう事だから、自分でもびっくりしちゃうんだ。

 

コンサートは凄く素敵で、言葉では言い表せない程に感動するものだった。

多分それだけだったら、私は担降りできなかったと思う。

でも、ある曲を歌ってくれた時、私は本当に覚悟を決める事が出来た。

 

それは、「PIKANCHI DOUBLE」

どんな他の素敵な曲よりも、新しく出てくる曲よりも、何よりも1番大好きな曲。

なんでかって言われたら返答に困るんだけど・・・

うん、ピカダブにはいろんな思い入れがあるし、

受験とか、発表とか、勝負の朝には必ず聴いてた曲で。

いつか死ぬまでに、ピカダブを生で聴きたいなって思ってた。

 

でもね、ライブ自体にはこれまでデジタリアンとか、ジャポ、あゆはぴ・・・

って入ってきたけど、ピカダブはなかなか歌ってくれなかった。

正直今回も、きっと歌わないんだろうなぁって諦めかけてたんだよね。

もうピカダブは過去の曲なのかな、って。

でも、あのイントロが、東京ドームの天井を駆け巡った時、

もう頭が真っ白になって、何が起こったのか一瞬整理できなかった。

ただただ、涙があふれて、頭の中で「ありがとう」って、繰り返してた。

 

他にも、Attack it! とか、GUTSとか、Happiness、Believe…

もう全部思い出があるんだよね。1つ1つの曲に。

Song for you を聴いた時にはもう涙が止まらなかった。

最後に、大画面で5人が映るんだもん。

かっこいいとか、すごいとか、そういう感情は全くなくて、

本当に感謝の気持ちしかなかった。

本当に、二宮さんが大好きなんだ。

 

 

いろんな奇跡が重なってできた、今回の担降りコンサート。

私はこれからも嵐、そして、二宮さんの事は、心の底から大好きなんだと思う。

きっとこの人を越える人ってもういないんじゃないかな。

 

 

2017年12月25日、この日の事は生涯忘れません。

今まで、そして、これからもありがとう。

10年分の感謝を込めて・・・